2026年4月、息子が就職した。
私、49歳のことだ。
整骨鍼灸グループの一員として、柔道整復師の卵としてスタートを切った。
ついに、ここまで来たか。
嬉しい、本当に嬉しい。
でも正直に言うと、その嬉しさと一緒に、なんとも言えない静けさが来た。
子育てが終わった、という感覚だ。
勉強嫌いで野球一本、12年間の話
うちの息子は、勉強が嫌いだ。
小学校から高校まで、12年間とにかく野球に打ち込んだ。
成績は平均よりそこそこ下。
通知表を見て、将来に不安になったことも何度もある。
それでも野球はやりきっていた。
私立高校では2年生の春からレギュラーを掴み、スタンドで応援する私も一番の楽しみだった。
父母会の会長を務めることになったのもその頃。
指導者と親たちの調整役、連絡事務、試合のたびの段取り。
仕事の合間に回すのはなかなか骨が折れた。
それでも、グラウンドで躍動する息子を見るたびに「やってよかった」と思えた。
進路の選択肢は少なかった。だから「柔道整復師」を勧めた
高校3年になり、進路を真剣に考え始めなければいけない頃。
私は正直、大学進学には乗り気になれなかった。
大学全入時代、やりたいことが明確でないまま入学しても、4年後に「どうしよう」と迷うだけになりかねない。
それならば手に職をつけて、国家資格を取った方がよほど本人のためになると思っていた。
そこで提案したのが「柔道整復師」の専門学校だ。
接骨院・整骨院を運営・経営できる国家資格。
野球で身体を動かし、ケガをした時にはお世話になった息子には、スポーツとケアの現場が向いているんじゃないかとも思った。
本人から強い意思表示があったわけではなかったが、他に具体的な選択肢もなかったのだろう。
そういう流れで、大学ではなく専門学校の道を選んだ。
入学が決まったとき、それでも私は素直に嬉しかった。
最後の1年が、息子を変えた
専門学校に入ってからも、勉強している様子はほとんど見えなかった(笑)。
まあ、そういう子だと分かっていたから、あまり言わなかった。
「最低限、卒業さえしてくれれば」という思いで、国家資格を取るか取らないかは本人次第と割り切っていた。
でも最終学年、特に最後の半年。
毎朝9時から夜21時まで、学校に缶詰になって勉強を続けた。
そのスイッチが入った(?)ことに、私はまず驚いた。
年末の卒業試験では不合格だった。
年越しも、お正月らしい雰囲気はほとんどなかった。
それでも年明けの再試験で、なんとか合格。
卒業見込みとなり国家試験の受験資格を得て、卒業が内定した瞬間だった。
そこから国家試験本番の3月まで、また2ヶ月間みっちり勉強を続け、見事に合格してくれた。
正直に言う。
私は「合格するかどうか、半々だろうな」と思っていた。
合格後に本人が言っていたのは「毎週やってた模試でも、合格圏に入ったことは一度も無かったのに。」
息子自身が自分でつかんだ将来への道だ。
就職した息子と向き合って、気持ちが変わった
4月に就職して、息子はひとりのオトナになった。
今までも一人の人間として向き合ってきたつもりだった。
でも就職という現実が来て、それが「つもり」ではなく「リアル」になった感じがした。
これからは自分の生活を整え、自分の人生を切り開き、いつかは親の面倒を見ることも視野に入れながら生きていく。
そういう存在に、息子はなった。
こちらが心配するより、信じて待つ方が正解なのだろう。
そう思えた4月だった。
49歳、次は自分の番だと改めて思った
子育てが終わると、不思議と時間と気持ちが自分に戻ってくる。
年を重ねた男性が、人付き合いを狭めていく話をよく聞く。
仕事以外の場所に居場所がなくなり、趣味も続かず、気づけば収縮していく。
他人事じゃない。私自身も実際にそういう気配を感じている。
だからこそ、このブログを続けることに挑戦している。
ゴルフの話、身体のこと、食べ歩き、そして今日みたいな生活の記録。
仕事以外でも自分の人生をどう開いていくか。
アラフィフの挑戦は、ここからが本番だと思っている。
息子よ、就職おめでとう。
次は父親の番だ。
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